2016年11月22日火曜日
3rdレコーディング まずはドラムとベース録り!
こんにちは。カナーンドッグのヒトミです。
カナーンドッグの新しい3曲入りCD「Canaan Dog 3rd」のレコーディング本番がついに始まりました。
まずリズム隊、ドラムとベースの録音からスタートです。
今回、カナーンドッグとしては初めて、録音段階からエンジニアさんに付いていただき、ミックス・マスタリングまで一通りお願いしています。
エンジニアは以前にヨニンミマンの「太陽が昇ったら」という曲でもお世話になった青木さんです。
その時の音源が完全に納得いく仕上がりでしたので、今回カナーンドッグの方でもお願いしました。
信頼できるエンジニアさんが近くにいてくれるっていうのは心強いものです。
これまでのカナーンドッグCDとは一味違った音質になりそうですね。
さて、四日市のスタジオエチュードで、いよいよレコーディング開始です。
録音には色々な順序ややり方があると思いますが、私達はまず、ドラムとベースを同時録音するという方法を取りました。
理由は、まぁ単純に時間の短縮になるというのもありますが、やっぱりドラムとベースはお互い呼吸を合わせながら同時に弾くのがいいかなってことで、そうしました。
もちろん先にドラムを録っておいて、それに合わせてベースを弾いてもいいんですが、例えばクリック通りの速度ではないリタルダンド気味のところで、私がゆっくりと振りかぶってシンバルを入れる時のタイミングとか、バスドラを踏んだ時の打面の揺れとか、そういうのは動きを目で見ながら、後は実際にその場で演奏している振動を感じながら合わせた方が、より息が合いやすいですからね。
ちなみに録音時は、ギターとか歌のガイドは後ろで流さず、正確なテンポを示すクリック音、そしてベース・ドラムの互いの音のみが聞こえている状態でやりました。
ガイドを再生しながらだと、どうしてもそればっかり聞いちゃって、ガイドに合わせた演奏になって、ドラムとベースのガッチリ感が損なわれてしまいそうなので、あえてガイド無しで行きました。
ただ、ガイド無しだと、曲の展開が見えづらいので結構大変ですね。私の場合、意外とベースだけじゃなく、歌と呼応したようなリズムを入れていたり、ギターの動きに合わせてシンバルを一発だけ入れてるところがあったり、そういうのが随所にあったので、それらをガイド聞かないでも忘れずに入れないといけないってのは苦労しました。
あとはベースのみの音源だと、抑揚をどう付けるかっていうのもわかりづらくなるので、ドラミングがちょっと淡々としちゃうっていうか、ここでバーンと行きますみたいのが出しにくい。
だからレコーディングに向けては一応普段とは違う練習をしました。
ドラムの練習としては、まず普通に全パートの入ったプリプロに合わせて叩いて、次にクリック音とベースとドラムが入った音源に合わせて、その後にクリックとベースのみ入った音源に合わせて、と3段階で練習してました。それを繰り返して、ドラムパターンとかフィルを確かめていきました。
まぁ・・・充分発揮できたかどうかはわからないですが、まぁまぁ、自分なりには準備して臨んだつもりです。
さて、実際のレコーディングは、まずセッティングと、ヘッドホンから流すクリックと楽器の音量調整とかでけっこう時間がかかって、開始は遅めだったんですが、録り始めてしまえばそんなにドハマりすることもなく、メンタルもさほど消耗せず、わりと余裕を持って予定時間内(3曲合わせて5時間半くらいかな)で録り終えました。
言わなきゃわかんないことかもしれませんが・・・自ら暴露しますと、リズムとか叩き方が甘くてどーーしても気になる数箇所は、ほんの少し整えてもらいました。
他の多少マシなテイクからそのフィルインだけ移植したり、タムの1音だけちょっっと後にずらしてもらったり。
あぁもう、まったくバカ正直だなぁ私ったら。
リズムマシンのように正確にはなれないし、ちょっとくらいよれてる方が人間味があっていいのかもしれませんが、力んだりしてビミョーに打ち損じてるところは、どうしても聴き直すと気になっちゃって。
そこはもう、意地を張らずに素直に「すいません、お願いします。」ってことでテクノロジーに頼りました。
そしたら速攻整ったから、もう、何て言うか、ありがとうございます(笑)
次回はケイスケのギターと歌録り中心になります。
とにかく私個人的には、これでひとまず大仕事を終えたって感じです。まぁ、まだ歌録りとかコーラス録りとかあるんだけど、まずはね。
完成に向かって大きく一歩近づいたかな。
また中間報告させてもらいますね。
2016年11月14日月曜日
お耳に合いましたら
こんにちは。カナーンドッグのヒトミです。
オリジナル曲を作って、それを人前で披露すると、「いいね」と言っていただくこともありますが、もちろん「ぜんぜんよくない」と言われることもあります。「もう二度と聴く気はないよ」的なこととかね。
あと、すぐに直せるような指摘ならいいけど、そもそも直しようのないこととかは、やる気をかき立てられるどころか、ただ単に落ち込むだけですね(笑)
皆にいいとは思われないことぐらい、わかってはいるつもりなんですけどね。
自分だって、いいと思えるものは思えるし、逆にいいと思えないものはどれだけいいと思いたくても思えないもの。
それは上手下手だけではなくて、センスの問題で、好みが合う合わないもあると思います。
でもやっぱ苦労して作ったもんですからね、やっぱり一喜一憂しちゃいます。
辛口の批評をされればへこむし、ちょっと褒められれば、いとも簡単に浮かれます。
最近、そもそもなんで苦労してオリジナルを作って、それを人に聴いてもらおうと思うのかなぁと考えていたんです。
で、気付いたんですが私の場合、
例えば日常で、そんな大ごとじゃなくても、何か心に残るような出来事が起こった時に「あ、この感じ誰かに話したいな。でもこのニュアンスわっかるかなー。あ、あの人ならもしかしてわかってくれるかなぁ。今度あの人に会ったら話してみよっかな。」って思うのに似てるな、と。
つまり、何か自分の気持ちとか、目に映った印象的な情景とか、自分にしかわからないかもしれない、でもわかる人にはわかるかもしれないっていうビミョーーな感じを、気の合う人に、なるべく大げさにせず、でも淡々とじゃなく、時々例え話なんか織り交ぜながら、イメージが伝わるように喋って、「あっ、わかるわ~そういうの。」って言われて安心するっていう感じ。
わかります?(笑)
まったく理解されなさそうな人にはそもそも話そうと思わないですね。だってセンスのあまりに違う人に話してもキョトーンだろうし。
できれば自分と気の合いそうな人に聞いてもらいたいと思うけど、意外と通りがかりの知らない人がたまたま聞いてて、興味持って立ち止まって熱心に聞いて「わー奇遇だな。実は私も同じようなこと思ったことあるんですよ。」なんて言われるとけっこう嬉しかったり。知り合いでも、意外な反応が面白かったり。
私は本や小説は書けないけど、たまに小説読んでると、あら、世の中にこんな同じような感覚を持っている同類?同志?っていたのかとビックリすることがあるんですよ。
音楽はさらに、どういう音楽がかっこいいと感じるかっていう、これまで聴いて育ってきたものとか、美学というか、趣味嗜好がもろに出るので、好き/嫌い、理解できる/できないがハッキリわかれますよね。
私はわりと色んな音楽を雑食的に聴く方だと思うけど、それでも「これはぜんっぜんわからん」っていうものもありますからね。
だから、万人ウケする曲なんて無いとは思うんですけど、だからこそ、「かっこよかった。」と声をかけてくれたり、CDをもらいに来てくれたりすると、何か救われたような気になるんです。
あ、この感じわかってくれる人がメンバー以外にも世の中にいてくれるんだ、という。
あと、あまりお世辞とか言わない知り合いの方から、初めてお会いする方へ私のことを紹介してもらう場面で、「この人はカナーンドッグっていうバンドでドラムをやっていて、このバンドがまたええバンドなんよ。」ってさらっと言ってもらった時に、人知れず目を潤ませてじ~んとしておりました。
個人的に頭に浮かんだ色んなことを、外に出して一曲として苦労してまとめて、それをメンバーの力を集めて育てて、そうやって仕上げた曲を「我々こんな音楽けっこうおもしろいと思ってやってて、例えばこんなこと思ってますねん。」と人に投げかけてみる。そこに「それわかる。」と返ってきたらもう、それまでの苦労とか葛藤はどっか行って、やっててよかったなと思っちゃう。
それで、ついつい、もっと他の人にも聴いてみてもらおうかな、となるんですね。
そしたらまた「ぜんぜんダメ」って言われてガーンってなることもあるんだなー。
だからとにかく、
お耳に合わなかった方は、貴重なお時間無駄にしてすいませんでした。
お耳に合った方は、是非「合ったよ」ということを伝えてもらえれば嬉しいです。
オリジナル曲を作って、それを人前で披露すると、「いいね」と言っていただくこともありますが、もちろん「ぜんぜんよくない」と言われることもあります。「もう二度と聴く気はないよ」的なこととかね。
あと、すぐに直せるような指摘ならいいけど、そもそも直しようのないこととかは、やる気をかき立てられるどころか、ただ単に落ち込むだけですね(笑)
皆にいいとは思われないことぐらい、わかってはいるつもりなんですけどね。
自分だって、いいと思えるものは思えるし、逆にいいと思えないものはどれだけいいと思いたくても思えないもの。
それは上手下手だけではなくて、センスの問題で、好みが合う合わないもあると思います。
でもやっぱ苦労して作ったもんですからね、やっぱり一喜一憂しちゃいます。
辛口の批評をされればへこむし、ちょっと褒められれば、いとも簡単に浮かれます。
最近、そもそもなんで苦労してオリジナルを作って、それを人に聴いてもらおうと思うのかなぁと考えていたんです。
で、気付いたんですが私の場合、
例えば日常で、そんな大ごとじゃなくても、何か心に残るような出来事が起こった時に「あ、この感じ誰かに話したいな。でもこのニュアンスわっかるかなー。あ、あの人ならもしかしてわかってくれるかなぁ。今度あの人に会ったら話してみよっかな。」って思うのに似てるな、と。
つまり、何か自分の気持ちとか、目に映った印象的な情景とか、自分にしかわからないかもしれない、でもわかる人にはわかるかもしれないっていうビミョーーな感じを、気の合う人に、なるべく大げさにせず、でも淡々とじゃなく、時々例え話なんか織り交ぜながら、イメージが伝わるように喋って、「あっ、わかるわ~そういうの。」って言われて安心するっていう感じ。
わかります?(笑)
まったく理解されなさそうな人にはそもそも話そうと思わないですね。だってセンスのあまりに違う人に話してもキョトーンだろうし。
できれば自分と気の合いそうな人に聞いてもらいたいと思うけど、意外と通りがかりの知らない人がたまたま聞いてて、興味持って立ち止まって熱心に聞いて「わー奇遇だな。実は私も同じようなこと思ったことあるんですよ。」なんて言われるとけっこう嬉しかったり。知り合いでも、意外な反応が面白かったり。
私は本や小説は書けないけど、たまに小説読んでると、あら、世の中にこんな同じような感覚を持っている同類?同志?っていたのかとビックリすることがあるんですよ。
音楽はさらに、どういう音楽がかっこいいと感じるかっていう、これまで聴いて育ってきたものとか、美学というか、趣味嗜好がもろに出るので、好き/嫌い、理解できる/できないがハッキリわかれますよね。
私はわりと色んな音楽を雑食的に聴く方だと思うけど、それでも「これはぜんっぜんわからん」っていうものもありますからね。
だから、万人ウケする曲なんて無いとは思うんですけど、だからこそ、「かっこよかった。」と声をかけてくれたり、CDをもらいに来てくれたりすると、何か救われたような気になるんです。
あ、この感じわかってくれる人がメンバー以外にも世の中にいてくれるんだ、という。
あと、あまりお世辞とか言わない知り合いの方から、初めてお会いする方へ私のことを紹介してもらう場面で、「この人はカナーンドッグっていうバンドでドラムをやっていて、このバンドがまたええバンドなんよ。」ってさらっと言ってもらった時に、人知れず目を潤ませてじ~んとしておりました。
個人的に頭に浮かんだ色んなことを、外に出して一曲として苦労してまとめて、それをメンバーの力を集めて育てて、そうやって仕上げた曲を「我々こんな音楽けっこうおもしろいと思ってやってて、例えばこんなこと思ってますねん。」と人に投げかけてみる。そこに「それわかる。」と返ってきたらもう、それまでの苦労とか葛藤はどっか行って、やっててよかったなと思っちゃう。
それで、ついつい、もっと他の人にも聴いてみてもらおうかな、となるんですね。
そしたらまた「ぜんぜんダメ」って言われてガーンってなることもあるんだなー。
だからとにかく、
お耳に合わなかった方は、貴重なお時間無駄にしてすいませんでした。
お耳に合った方は、是非「合ったよ」ということを伝えてもらえれば嬉しいです。
2016年11月5日土曜日
今思うこと、色々。
こんにちは。カナーンドッグのヒトミです。
前々回のブログ「自分達を知る」が、何だかたくさんの方に読んでいただいたようで、思いがけず二度見しちゃうほどのページビューになっていてビビッてたんですが、前回はまたいつものペースに戻ったみたい。あれは特需のようなもんだったのかしら。
内心、いつものページビューの少なさに戻ってちょっとホッとしました。だって、そんなにたくさんの人が見るだろうと思って書いてないもんで、非常に偏った考えで、自分勝手なことを書き綴ってるだけのブログだから、なんか嬉し恥ずかしのどちらかと言えば恥ずかしが勝っていたんです。
前回のブログで、ライブでは周囲のことなど微塵も気にせずに曲を表現しきることだけに集中して入り込んでる状態が理想、というようなことを言ったんですが、それをベースの先生に話したら、「ライブに出るからには完全に曲に没頭していてはいけない。お客の反応も絶対見ていないといけないし、どっか冷静に演奏している自分のことを外から見ている感覚がないと。」とすんなりレベルが上のことを言われ、「そ、そうっすよね!」と、それまでの考えをあっさりと撤回したのでした。
私の考えなんぞ、明日変わるかもしれないし、実際、ここ数年でもけっこう変わってきたし、なんというかあんまり一貫性の無い、曖昧なものだと思って下さい。あら、ガッカリしてますか?(笑)
でも、自分の考えとして嘘は言ってません。その時に本当に思ってることです。この先絶対に変わらない信念である!とは言えないだけで・・・
で、最近、思うことなんですが、
マルチプレーヤーってどういう人だろうって、よく考えるんですよね。
色んな楽器やる人、「あの人マルチだね~」とか言いますよね。
でもね、私自身はこういう時に使われる「マルチ」っていう響きは、あまり好きではありません。
なんとなく色んなことに中途半端に手を出してるけど、どれも本職じゃない人、みたいな感じがしちゃう。
まず、一人で色々な楽器をやること自体は、そんなたいして自慢にはならないと思うんですよね。
もともとギター弾く人がベースも弾くとかは珍しくもないし、デモぐらいだったら一人で一通りの楽器全部弾いて作ってます、みたいな人はいっぱいいるし。
何かしら音楽をやってきた人がそれまでとは違う新しい楽器に挑戦することは、特別すごいことではないと思います。手を出すか出さないかの違い。もちろん、一つの楽器一筋の人はそれはそれでいいし、どちらがすごいわけでもない、自由っていうか。
色んなことに挑戦するのが悪いとは言ってませんよ。興味のあることどんどんやってみるって、世界が広がるし、いいことだと思う。楽しいもん。
でもそれって別に「マルチプレーヤー」ではない気もします。
もし「マルチプレーヤー」として本当に認められるとしたら、「あれもこれも色んなことやってます」ということはあまり意味を持たなくて、それはもう、一つ一つのクオリティこそ重要かなと思います。
つまり、ベースで参加してる曲、もしくはバンドでは、ベーシストとしてすごいいい仕事してる。ギターで参加してる時にはギタリストとしてすごいいい仕事してる。そんな感じで、それぞれの楽器を持っている時には、「ホントは他の楽器する人なんだけど、そこそこ器用にこなしてますね」みたいなことはいっさい感じさせないくらい、その役割を果たしてるというか、しっくり来ているのが、たぶん本当のマルチプレーヤーだと思うんです。
それに憧れはするけれども、現実は厳しいです。並大抵の努力ではできないですよね。
私は真の「マルチプレーヤー」にはなれていません。
一応、言い訳は極力しないように、とは思ってます。
別に他の楽器をやっていることを隠す必要はないんだけど、やるんだったら、特にそれでバンド組むんだったら、せめて真面目に取り組まないと。急には上達しないけど、ちゃんと練習はしないと。
まぁ、今はこんなこと言ってる私も、少し前まで「そうは言っても私本来はドラマーだし~。他は初心者だし~。」みたいな言い逃れをてんこ盛りして怒られてたので、何を今更エラソーにと自分でも思うんですが(笑)
自分への戒めの意味も込めて。書いておきました。
もう一人の自分が、ちょっと俯瞰で自分のことを見て、趣味なんだからもうちょい気ぃ抜いて音楽テキトーにやればいいのに、とも思ったりしてますけどね。
前々回のブログ「自分達を知る」が、何だかたくさんの方に読んでいただいたようで、思いがけず二度見しちゃうほどのページビューになっていてビビッてたんですが、前回はまたいつものペースに戻ったみたい。あれは特需のようなもんだったのかしら。
内心、いつものページビューの少なさに戻ってちょっとホッとしました。だって、そんなにたくさんの人が見るだろうと思って書いてないもんで、非常に偏った考えで、自分勝手なことを書き綴ってるだけのブログだから、なんか嬉し恥ずかしのどちらかと言えば恥ずかしが勝っていたんです。
前回のブログで、ライブでは周囲のことなど微塵も気にせずに曲を表現しきることだけに集中して入り込んでる状態が理想、というようなことを言ったんですが、それをベースの先生に話したら、「ライブに出るからには完全に曲に没頭していてはいけない。お客の反応も絶対見ていないといけないし、どっか冷静に演奏している自分のことを外から見ている感覚がないと。」とすんなりレベルが上のことを言われ、「そ、そうっすよね!」と、それまでの考えをあっさりと撤回したのでした。
私の考えなんぞ、明日変わるかもしれないし、実際、ここ数年でもけっこう変わってきたし、なんというかあんまり一貫性の無い、曖昧なものだと思って下さい。あら、ガッカリしてますか?(笑)
でも、自分の考えとして嘘は言ってません。その時に本当に思ってることです。この先絶対に変わらない信念である!とは言えないだけで・・・
で、最近、思うことなんですが、
マルチプレーヤーってどういう人だろうって、よく考えるんですよね。
色んな楽器やる人、「あの人マルチだね~」とか言いますよね。
でもね、私自身はこういう時に使われる「マルチ」っていう響きは、あまり好きではありません。
なんとなく色んなことに中途半端に手を出してるけど、どれも本職じゃない人、みたいな感じがしちゃう。
まず、一人で色々な楽器をやること自体は、そんなたいして自慢にはならないと思うんですよね。
もともとギター弾く人がベースも弾くとかは珍しくもないし、デモぐらいだったら一人で一通りの楽器全部弾いて作ってます、みたいな人はいっぱいいるし。
何かしら音楽をやってきた人がそれまでとは違う新しい楽器に挑戦することは、特別すごいことではないと思います。手を出すか出さないかの違い。もちろん、一つの楽器一筋の人はそれはそれでいいし、どちらがすごいわけでもない、自由っていうか。
色んなことに挑戦するのが悪いとは言ってませんよ。興味のあることどんどんやってみるって、世界が広がるし、いいことだと思う。楽しいもん。
でもそれって別に「マルチプレーヤー」ではない気もします。
もし「マルチプレーヤー」として本当に認められるとしたら、「あれもこれも色んなことやってます」ということはあまり意味を持たなくて、それはもう、一つ一つのクオリティこそ重要かなと思います。
つまり、ベースで参加してる曲、もしくはバンドでは、ベーシストとしてすごいいい仕事してる。ギターで参加してる時にはギタリストとしてすごいいい仕事してる。そんな感じで、それぞれの楽器を持っている時には、「ホントは他の楽器する人なんだけど、そこそこ器用にこなしてますね」みたいなことはいっさい感じさせないくらい、その役割を果たしてるというか、しっくり来ているのが、たぶん本当のマルチプレーヤーだと思うんです。
それに憧れはするけれども、現実は厳しいです。並大抵の努力ではできないですよね。
私は真の「マルチプレーヤー」にはなれていません。
一応、言い訳は極力しないように、とは思ってます。
別に他の楽器をやっていることを隠す必要はないんだけど、やるんだったら、特にそれでバンド組むんだったら、せめて真面目に取り組まないと。急には上達しないけど、ちゃんと練習はしないと。
まぁ、今はこんなこと言ってる私も、少し前まで「そうは言っても私本来はドラマーだし~。他は初心者だし~。」みたいな言い逃れをてんこ盛りして怒られてたので、何を今更エラソーにと自分でも思うんですが(笑)
自分への戒めの意味も込めて。書いておきました。
もう一人の自分が、ちょっと俯瞰で自分のことを見て、趣味なんだからもうちょい気ぃ抜いて音楽テキトーにやればいいのに、とも思ったりしてますけどね。
2016年11月1日火曜日
最後は覚悟なのかな。
こんにちは。カナーンドッグのヒトミです。
カナーンドッグではないんですが、10月29日(土)・30日(日)とライブでした。
まず29日(土)はヨニンミマンとして、名古屋市港区にある「夜空と月のピアス」というお店で、二村ユーリさん主催の東北復興支援チャリティーライブの前座を務めさせてもらったんですが、この日、もともとはただ夫婦でお客さんとして見に行く予定だったんですよね。
それが、出演者の方でキャンセルが出てしまったということで、急きょ演奏させてもらうことになりまして、大急ぎで2人編成でいけそうな3曲を準備して飛び込んだという感じです。
この日は、他に野々山聖さん、鈴木大夢さん、そしてトリが二村ユーリさんだったんですが、
今回も色んなことを教えてもらいました。
まったく音楽スタイルの違う方々なんですが、共通して言えるのは、その空間を独りで完全に支配してたってことです。会場の空気ごと持ってってたって感じですね。
例えば、飾らない人柄のにじみ出る微笑ましい間だったり、一語一句驚異的な集中力で投げかけられる叫びだったり、心を開いて真っ直ぐな歌声で懸命に届けようとする姿だったり。
それがそこにいる人々の心を掴んでいた。そう感じました。
あぁ、それに対して私は、なんて中途半端なパフォーマンスなんだろうと。
私の場合は、自分を演出し続けることには向いていないので、曲の合間のMCでは普通に気を抜いた感じでしゃべっていても、いざ曲に入れば完全に曲の中に入って、周囲のことなど微塵も気にせずに、曲を表現し切ることだけに集中している状態ってのが理想ではあるんですが、それが今のところぜんぜんできていません。雑念、邪念、入りまくっちゃって(笑)
難しいなぁ。あー難しい。あーくやしい。
それにしても「夜空と月のピアス」というお店、初めてお邪魔したんですが、あちこちに遊び心が散りばめてあって素敵なところでした。独特の雰囲気が音楽と合わさって、さらに気持ちよく音楽が聴けて気持ちよく演奏させてもらえて、特製カレーも美味しかった。
来年、是非またヨニンミマンでしっかり準備して出演させていただきたいです。
そしてその翌日、今度は四日市で「ミュージックボックス」というイベントでカホンを叩いたんですが、こちらはいつも何かとお世話になっている落合先生のギターやウクレレの生徒さん中心に構成されているバンドで、ハワイアンの曲を6曲ほど。
ハワイアンの曲は、穏やかな曲調で繰り返しの中にもダイナミクスを付けるのが難しいんですが、そこに挑むのがおもしろいと言えるかもしれません。
このイベントでは、生徒さんによるギターやウクレレのソロ演奏を間近で見せてもらって、私は人知れず感動してちょっと泣きそうになっていました。
だって、舞台に出て行って自分の奏でる音に客席の注目が一気に集まる中、一音一音弾ききるんだから。その緊張感たるや半端なもんじゃないと思います。全部正しく弾けるかとかそんなことより、自分がそこに出て行って始めたものを最後までやり切るという、そこに必要な勇気とか覚悟とか、そういうところを共感してうるっときちゃう。え?涙腺がおかしい?これって年ですか?
あとやっぱりすごいなと思ったのが、バンドを率いる落合先生が次々にセッティングもしながら演奏もしながらとかやってる間に、急に落下したマイクスタンドで指を挟んで大きく切ってしまい、けっこうな流血をしながらもささっと応急処置を済ませ、何事も無かったかのように生徒さん達を気遣いながら進行して演奏していて、そこはさすがというか脱帽な感じでした。
他にも何だかその日はハプニングが色々とあったんですが、ピンチな時ほどワーワー騒がず平常心で進むのが大事ってことを学んだ日だった気もします。
やっぱり何があっても最後までやり切るって、覚悟なんですかね。
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