こんにちは。カナーンドッグのヒトミです。
カナーンドッグ13曲目となる新曲のデモを完成させました。「ギター」という曲です。
ギターっていう楽器は、とりわけ、楽器の中でもイメージが広がりやすい楽器だと思うんですよ。
それで、ギターを通して描きたいことがあって、「ギター」ってタイトルの曲にしました。今回も
3人でジャムって出来た印象的なリフやコード進行を活かして、そこから1曲の展開を作り、メロディと歌詞を付けて作りました。細かいアレンジは、またこれから3人で練っていきます。
この曲で描いたテーマは、作者から解説するべきではないのかもしれません。
だけど、決して水野晴郎さんの決め台詞のように「いやぁ、ギターって、ほんっとうにいいもんですね。」と単純に言いたいわけじゃないんだよ、ということだけ言っておきます。
描かれていること、といえば・・・・
先日、「セッション」って映画を見たんですよ。DVDでですけど。
名門音楽学校でジャズドラムの修練に励む青年と、鬼講師の話なんですが、
見ながら何回も、「なんっでやねんっ!」とか「んなアホなっ!」とちっちゃい「つ」の入ったツッコミを入れ、最後はもうプンプン怒っちゃったんですよ。色々気に入らなくてね。
たしかに、自分が音楽やってるからとかドラムやってるからってなことは関係なく、退屈せずに最後まで一気に見れてしまった。だけど、なんでこれがアカデミー賞何部門も受賞するの?結局何が言いたいの?って。
もう腹が立っちゃって、なんか自分の中でわだかまりが残りまして、みんなここから何を読み取ったのかなぁと、色んな人の感想とかレビューを見てみました。
そしたら例えば
「一定のレベル以上を行く音楽のプロの世界ってこういうことだよな」
「最後のシーンが圧巻。心が通じ合った瞬間に感動」
「挑戦意欲を奮い立たせてくれる。血みどろの努力に感銘を受けた」とか・・・
え~?そうかなぁ~?う~ん、わからん。いやいや、何か違う気がする。
だけどある映画評を読んだ時に「なるほど!」と完全に腑に落ちたんですよ。
その映画評をそのまま引用するわけにもいかないので、それを受けて自分で噛み砕いて自分なりに言いますと・・・
この映画はまず「音楽映画」として見てはいけなくて、描こうとしているのは、人間の「特別に選ばれた存在でありたい」という承認欲求。それはやがて肥大化し、狂気になります。
音楽とかジャズドラムは、一つの題材です。描かれているのは、「生かす」か「殺す」かの全権限を握っている指導者によって率いられている組織に属する人間が、どんな暴力を受け、口汚く罵られようとも、ボスから受けた期待に応える為に(もしくはそれを上回る為に)、ボスへの疑念や不信を自分自身の努力不足に転嫁し、恐ろしいほどガムシャラにしがみ付いていく姿。
そういう組織のメンバーになっている人にとって、できなきゃいけない場面でできないこと、わからなきゃいけない場面でわからないことは恐怖です。
ましてや期待に応えられず他の誰かに席を譲るなんてことは、平手打ちされながら血みどろになって過酷な練習をすることよりも耐え難い痛みなのです。
そして最大級の恐怖は、耐え切れずそこから逃げ出すことで「挫折したお前は無能だ」というレッテルを貼られること。それは何より屈辱的なことで、運動部でも会社組織でも同様に言えることです。
この映画には、いわゆる「凡人」として何を必死に追い求めるわけでもなく、それなりに幸せに“そこそこ”で満足して暮らしている人も登場するのですが、それに対し、圧倒的な才能を開花させたいという思いの中で、「凡人」としての生き方への軽蔑の念を増殖させ、そういう人たちの手を振り払い、自分こそは絶対に何かを超越した「天才」として伝説になるのだ、という野心に憑りつかれ、もがく人の姿があります。
重要なポイントは、指導者側であるその鬼講師自身も、「最強の指導者としてずば抜けた演奏家を育て他を打ち負かさなければならない」という強烈な野望と使命感の中でしか生きられず、その為に「ずば抜けた人間は徹底的に人格を否定され、どんなに理不尽な目に合っても潰れない。むしろそれでこそ奮起して開花する」という矛盾した理論に基づく教育法の信者になってしまっているという点です。この指導者の方も自分を保つ為、一生懸命信じ込んでいるものに執着しているのです。
皮肉なことに、その矛盾した理論の通り、理不尽な目に合されなければ最終的に本人があれほど爆発的には奮起しなかったことは確かです。
だけどそれだけで「偉大な演奏家の生まれ方」の全てを説明することなどできないはずなのです。
また、それまでには多くの潰された才能があって、悲しい犠牲があって、様々な矛盾が存在するのです。そういう複雑な因果関係とか人間の欲求だとか、そういうことを描きたかったんじゃないのかなって。
ま、もちろん解釈は色々分かれるんでしょうが・・・
私は、どこか「音楽映画」であることを期待しながら見てしまったわけですが、その奥にある深いテーマに気付けないままただ何か言いようのない怒りみたいなものとか、疑問を持ちながらエンドロールを眺めていました。
結局、誰一人音楽を本当に楽しんでいる人は出てこなかったし、教え子への愛、メンバーへの愛、楽器への愛(ぶっ壊しちゃうし)、音楽への愛も微塵も感じられないことにイラついていました。最後だって両者が通じ合っているとは到底思えなかった。
感動ではなくて、「何なんだ!?」という感覚を強烈に残した映画だったのですが、その後どうしても気になってこの映画のことばかり考えてしまい、レビューを読みあさってしまっている時点で、既にすごい映画なのかもしれませんが、それで、自分なりに納得のいく見方を見つけたことで、見てよかったのかもしれないと思えました。久々に、映画の持つ力を実感したような気もします。
「いやぁ、映画って、ほんっとうにいいもんですね。」
最後、もう一度水野晴郎さんの決め台詞に戻って締めくくってみました。