こんにちは。カナーンドッグのヒトミです。
ヨニンミマンの新曲「奇跡」のMVが完成しました。昨日からYOU TUBEで公開しています。
今回、映像と音楽とを合わせてお届けするということで、そのイメージ、特に、質感というのかな、今まで以上にこだわりました。
こういう状況の中、メンバーと直接顔を合わせることができないまま、ほぼリモートでアレンジをまとめてレコーディングし仕上げるというのは、音の意見交換難しいこともあったし、自分自身、段取り、進め方、苦労したことや反省点も多々あります。
だけどもとにかく、映像と音楽、なんとか納得いく形で融合させて、ようやく完成させることができました。
今は、またこうして一つの作品を仕上げられたことの安堵感、達成感、そして感謝の気持ちで、なんかちょっと胸がいっぱいになっています。やっぱり自分一人の発想とか、自分だけの力ではできなかったとあらためて思っています。
そして、いったん「気が済んだ」というのか、とりあえず自分が「満足した」という感覚に浸っています。まぁでも多分これはほんの一瞬のことで、次の瞬間には、また新たな曲についてあれこれ悩んだり、葛藤したりしていることでしょう。
これから、知り合いを中心にですが、この作品を自分とかメンバー以外の人に見てもらうことになります。
どんなふうに思うかな、気に入ってくれるかな、とか、前にこのブログで書いたように、我が子を初めてのお使いに出すような気持ちで、なんとも言えない不安もちょっぴりあります。
私、何度曲を作ったって、それでむちゃくちゃバズりたいとか、すごい人に見出されて評価されたいとか、大勢の人にウケたいとか、そんなことは思いません。
ただ、めぐりめぐって、誰かの気休めになるといいな、とは思います。
それは誰かに期待してはいけないことだし、そういうの、私にいちいち言葉にして伝えてくれるとは限らないけど、誰かが、ほんのり気持ちがラクになれば、と。
ただの趣味で音楽を作っていて、そのわりにはけっこう大真面目に色々頑張ったり、それなりに産みの苦しみがあったりするわけですが、それに何の意味があるのかと問われれば、
自分が良いと思うものを作ることで「自分の気が済むから」ということ。そして私の作ったもので、誰かのちょっとした気休めになったり、
もっともっと良いものが出来たら、
それがいつか、どこかの誰かのお守りみたいになることもあるかもしれない、って。
それはずっと先で、私が死んでからかもしれないし、知り合いの知り合いのそのまた知り合いとかで、私の全然知らない人かもしれないけど。
そんなふうに信じられることがあるってことが、自分の中で大きくて意味があるんじゃないかって、最近思っています。
ヨニンミマン「奇跡」MV