2019年1月30日水曜日

補ってくれてる

こんにちは。カナーンドッグのヒトミです。

先日は、私がギターボーカルを担当しているヨニンミマンのライブでした。
そんな日に限って雪。友達も連れて来てくれる予定だったお客さんが雪のせいで間に合わなかったり、お孫さんも連れて見に来るのを楽しみにしててくれた方が、そのお孫さんがインフルになってしまい来れなかったり。(お一人出演者の方もインフルでキャンセルでした)

そんな寂しさつのる寒い寒い冬の日でしたが、わざわざ遠くから来てくれた方もみえたので、お客さんの多い少ない関係なく、とにかく気持ちを入れて30分のステージを乗り切ること、それを思って臨みました。

しかしいつもライブのステージ中は邪念・雑念との戦いですね。
歌詞を一ヶ所間違えたら、しばらくそのことに引っ張られそうになるし、次はチューニングしながらMCだな、とかチラチラと頭をよぎったり、ギターのちょっと難しいところで意識し過ぎちゃって変な音鳴ったり、曲の世界に完全に集中して表現しきることの難しさ。
今回もその辺は自分の実力不足を感じながらも、なんとかやり切ったという感じですかね。
とりあえず私にしてはよく頑張ったな、やった方だなって感じです(笑)

メンバーには感謝しかないです。本当に。
皆忙しくてなかなか時間が合わない中、少ない練習時間でしっかり合わせてきてくれて、私の足りないところを補ってくれている。
そうなんです。補ってくれるんです。それをあらためて思ったのは、
最近「太陽が昇ったら」という曲の、曲ができた時の最初のデモを見つけて聴いてみたんですけど、味気なくてペラーッとしていた。あぁ、ヨニンミマン皆で曲をよりふくよかに育ててくれたんだなぁと思いました。他の曲もそうだし、やっぱりライブを重ねるごとに、少しずつでも仕上がりはよくなってきてると思う...んですけどねぇ。

そんなことは関係なく、ライブの出来を見て酷評をされることもあるんです。
好き嫌いもあるでしょう。感じ方は人それぞれ。人前で表現をしてる限り、批評は避けては通れないことでもあります。確かに改善した方がいいと思えて改善できることはするし、自分達は「これでいーのだ」ということは変えないし。
しかしなんかね、自分も含めて、人の作った音楽に関して「こういうところがまずい(不味い)よね」とか言い過ぎなんです。まずは自分自身が気を付けようと思う。

矢野顕子さんがリツイートしていた料理家の土井善晴さんのツイートを引用します。

「わたしは、人間が料理する意味をかんがえて、人間が料理することを、応援するわ。お料理がおいしいとか、まずいとかいう人間の喜びより、料理するという行為がもっと大事なこととかんがえてる。料理は生存本能(手段)であり、人間の創造のはじまりだから。」

先日のライブからは、一番邪念・雑念無く思い切ってできた「歩いて帰ろうか」をアップしました。よかったら見てみてくださいね。


次のライブは3月、カナーンドッグです。
詳細またあらためてお知らせしますね!