こんにちは。カナーンドッグのヒトミです。
少し前から、オーディブルをスマホにインストールして本を"聴いて"います。オーディブルというのは、Amazonが運営するオーディオブックやポッドキャストの定額聴き放題サービス。プロの声優やナレーターが朗読している本を選んでダウンロードして、作品を耳で味わうのです。
きっかけは…メジャーリーガーの菊池雄星さんがYOU TUBEの対談で「目を酷使しない為、本は読まずに"聴く"。年間200冊くらい聴いている。」と言っているのを見て、「なるほど!」と思ったからです。
私、普段からパソコン作業やら細かい手作業なんかでビシバシ目をこき使ってまして、目はしょぼしょぼ。常に藤子不二雄の目が「3」みたいな状態で、読み物からだんだん遠ざかっていました。
それにガチガチに固まった体をなんとかしなきゃと、重い腰を上げてランニングに出かけても、走ってる間ヒマでくじけるし(←言い訳)、聴きながら走ったりすれば…しんどいのも気が紛れていいかもしれない。これって時間を有効に使えるんじゃない?
文芸作品はもちろん、色んなコンテンツがあるのですが、私はまず「昔から知ってはいるけど、意外とちゃんと読んだことは無いんだよねシリーズ」から攻めてみようと思い、
あまりにも有名な出だしは知ってるが終わり方を知らない『吾輩は猫である』を聴いてみました。
なるほど落語みたいに調子が軽くリズミカルで、そんなに疲れずに聴いていられます。
物語は特に派手な展開は無く、吾輩(名前はまだ無い猫)が住みついている家の主人「苦沙弥(くしゃみ)先生」を訪ねてくるだいぶクセ強めな友人知人の会話が中心です。これがイチイチ長いのよ。あーだこーだ持論やデタラメ話やぐるぐる解決しない心配事や…これは読書だと途中で挫折してたかもしれません。聴いてても嫌になってくるぐらいやたら長い。
だけど、人間模様を細かく観察しつつ猫なりにも他の猫との接し方を探ってたり、達観しているようでどっか抜けてる吾輩にだんだん愛着が湧いてきました。しかし、吾輩がちょっとかわいく思えてきたころ突然、話は本当にあっけなく終わってしまいます。ネタバレになっちゃうのでどのような最後だったかは書きませんが、「えーそんな終わり方!?」という感じです。
で、作品を通して(あくまで個人の感想ですが)あぁ、明治時代の人も、男も女も、人間も猫もあんまり変わらないなってことですね。自分は違うと思っていてもどんぐりの背比べ。どこかカッコ悪く滑稽で、そんなに崇高なもんじゃない。みんなそれなりに自分の立場での悩みがあり、自分の居場所を探していて、世の中、そんなに真面目にしがみついて執着するもんじゃないよ。みたいな。
だから吾輩がこの世に未練が無いことに妙にホッとしたのです。そしてあんなに聴きながらイラついていたのに、なんだかんだ最後はうっかり感動してしまった自分がいました。夏目漱石ってすごいんだねぇ。
ところで私は今、心から思っています。自分から湧き出るアイデアで色んなものを作って人を喜ばせたい。そういうことに、いつにもまして燃えています。音楽も、仕事も、その他にも、色々、料理なんかも、広い意味で作品として、人に何か伝えたい。
そういう創作意欲で、日々何か作ることに没頭している。
そんなある日
私はまたちょっと治療しなければいけないところが見つかりました。驚いたけど、今回は動揺せず、ずいぶん落ち着いて聞きました。
ちなみに体調はぜんぜん悪くないです。今のところ痛くも無いし生活に支障もない。ちょっと修理修繕が必要なだけ(笑)
だけどなるべく時間を有効に使って、やりたいことは先延ばしにせずに楽しく、すぐに挑戦したい。そんな今日この頃です。
またご報告しますね!