こんにちは。カナーンドッグのヒトミです。
音楽と関係ない話、していいですか。
ちなみに、それってただの思い込みだよねって話なんですけど、していいですか。
じゃあします(笑)
今年に入って半月ちょっと、けっこうドカンドカン、ズシンズシンって、心労が重なりまして、
一つ一つは些細なことで誰のせいにもできないような事なんですけど、いちいちタイミング悪く、解消されないまま、また立て続けに、あれよあれよと、テトリスのブロックが頭上まで積み上がっちゃって、どうにもこう着状態になりまして、
本当にずっと苦しかったんです。体にもビシバシとダメージが来ていまして、かなり弱っていました。
気分転換に無理やり部屋を整理整頓して、断捨離で心のお掃除するぞと思って頑張っていたんですけど、不要な物がごちゃごちゃと詰まってた棚2つ捨ててもなかなかスッキリとはいかず、
と言いつつもご飯が食べれない程ではないので、ほぼ毎日、食材の買い出しに行き、献立を考え、料理したものを食べ、家族にも食べてもらうことで、なんとか自分を保っていたような状態でした。
そんなある日、何気なく新聞を開いたら、向田邦子さん没後40年の特別展覧会についての記事が載っていました。へぇ、向田邦子さんってあまりよく知らないけど、あの綺麗な人で、ホームドラマの脚本家でしょ?ぐらいの浅い知識で記事を読んでみたら、私の好きな角田光代さんがコメントを寄せていて、「エッセイに関して向田さんから教わったものが一番大きい」とおっしゃっていました。
それで、あ、向田さんってエッセイも書くのかーと、なんとなく興味を持ちまして、ついでに寄った本屋さんで『向田邦子ベスト・エッセイ』というのを一冊買ってみました。
家に帰って、さっそく「父の詫び状」というのから読んでみたら、その文章に、もう一瞬で惚れ込んじゃって。
口から思わず飛び出た言葉が「えっすごい…か、かっこいいんですけど…」でした。
しかも、かっこよく書いたろか感がないんです。本人、ぜんぜんかっこつけてないの。等身大の私がここに居て、あなたと同じような決して格別じゃない私が日常の中で書いてますよ感。それでもやっぱり、向田邦子は格別なんだと、そりゃあ色んな作家も向田邦子は格別だと言うわ、と。すんなり納得させられちゃったというか。
幼い頃の印象的な出来事、旅の中で見た景色、料理の味、私ってこういうところがあるの的なこととか、微妙な心境、人々の表情、それがどんなのか伝える言いまわし、うますぎ。改行とかまで、センスありすぎ。
着飾ってないのに美しいなんて最強じゃないですか。
1981年、51歳の時に飛行機事故で急逝して、ですからもし今も生きていれば91歳になるんですけど、不思議なことに、ぜんぜん昔の人の話って感じがしない。エッセイの中でも、戦時中の話とかけっこう出てくるんですけど、私が経験していない、知らない時代の話じゃないみたいに、すぐそこにあるんです。まるで今まさに、同じ場面をそばで見ているようです。なんかわかるわ~…ってなっちゃうの。
そんなことを、ついさっきまで酷く落ち込んでいたのも忘れ、テンション上がって母に話したところ、おぉっと驚いた顔をして、
「昔、父親が向田邦子作品大好きやったんやわ。へぇ、こういうところで共感があるとは、なんか嬉しいわぁ。」と言われました。
その時に私は、おじいちゃんが私のことをすごく理解してくれて、その上で「そろそろ元気だせ」と言ってくれた気がしました。
鹿児島のおじいちゃんは遠かったのもあって生前あまり話したこともなく、本を読む人だとも知らなかった。
だけどもしかしたら、もう亡くなった方とか、会ったことのない遠いご先祖様から、何かしら励ましのメッセージを受け取ることって実際にあるのかもしれない、なんて思えてきて、そしたら、だいぶ心身ともに持ち直したんです。
まぁテトリスのブロックはいつ思わぬところからガガーっとせり上がってくるかわからないんで、(あ、あんまりうまくもない例えでした?)またいつイジイジ・クヨクヨモードに逆戻りするかわからないですけど、
とにかく、私は受け取りました。受け取って、元気出ました。
こんな話に共感してくれる人は、どこかにいるんでしょうかねぇ。